Global Youth Net 今週の名言名句「言葉は力なり」<バックナンバー>

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120 「忍耐と勤勉と希望と満足とは境遇に勝つものなり」

(『欺かざるの記』より 国木田独歩:1871〜1908年。明治時代の詩人、小説家。『欺かざるの記』『独歩吟』『武蔵野』『少年の悲哀』『夫婦』など)
 3・11東日本大震災は世界に大きな衝撃を与えている。災害の規模、原発事故もさることながら、海外のメディアには被災地で生きる日本人の姿への驚嘆と称賛のコメントが並ぶ。
「冷静沈着」「他人に配慮する円熟した市民意識」「当然であるかのようにお互いが連帯する態度」「混乱の中で秩序と規律が守られている」などなど。ある海外マスコミは「人類精神の進化を見せてくれた」とまで激賞したという。
 復興の原動力は何か。いかなる困難にも耐える力、気の遠くなるような復興への道筋を開こうと努力を惜しまぬ姿勢、決して諦めない未来への情熱、そして足ることを知って感謝する心…これらの力がその源泉となろう。
 日本は、そして日本人は、この過酷な試練を必ずや克服する。世界の目はすでにそのことを知っているのである。
119 「陽はまた昇る」

(ヘミングウェー:1899〜1961年。アメリカの作家。1954年ノーベル文学賞受賞。『陽はまた昇る』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』など)
 未曽有の巨大地震、そして大津波。自然の脅威に、被災した日本のみならず、世界が3月11日に発生した東日本巨大地震に注目している。
 この時期の東北地方の天候は厳しく、被災者は十分な暖を得られず、零下の寒さとの闘いを余儀なくされている。自然はときに人間の力をはるかに超えた力を見せつける。しかし、人類は誕生以来、自然とともに生きてきた。これからも未来永劫にわたって自然とともに生きていく。
 我々はこのような大震災の体験者として、さまざまなことを悟り、学び、そして変わっていかなければならないだろう。人類は自然の恩恵とともに生きていることは間違いない。今、現実に耐えがたい苦痛と試練に直面していることは事実ではあるが、「陽はまた昇る」。
 我々が決して失ってはならないのは、希望である。
118 「自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る」

(『冷笑』より 永井荷風:1879〜1959年。明治、大正、昭和期の小説家。 「三田文学」を主宰。耽美派の代表作家。『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』『冷笑』など)
 人はときに人生の意味を見いだせず、疑問を抱え、悩みのふちに立つ。そんなとき、荷風は「自覚さえすれば」とささやく。自覚とは、己と対話することである。自らの内面や価値をのぞきこみ、真の自分の姿と対面することである。己の置かれてい る位置と状況(他との関係性)をよく見極めれば、おのずとなすべきことが分かってくる。
117 「進歩とは反省のきびしさに正比例する」

(本田宗一郎:1906〜1991年。技術者、実業家。本田技研工業社長、最高顧問を歴任。『得手に帆あげて』『スピードに生きる』)
 言葉は体験から生まれる。世界屈指の技術者として常に進歩を追い求め続けた本田宗一郎だからこそ、語れる言葉がある。本田の世界的な実績の背景には想像を絶する自己へのきびしい眼差しがあったのだ。
 往々にして人は他者にきびしく自分には甘いものである。他者に向ける目をまずは自らに向け、己にきびしく生きることが、進歩への最短距離となる。
116 「睨まれて死ぬ者なし」

(ことわざ。文献:「昔が今に至るまで睨まれて死んだ者はいない」近松門左衛門『薩摩歌』)
 日本人は人の目を気にする、とよく言われる。日本人に限らず、人に睨まれて平気でいられる人間はそう多くはあるまい。人の目を気にせず生きることは、実際のところそう簡単ではないのである。
 しかし、自らの信念に従って生きている人の姿は美しい。称賛に値すると思う。悪しきことなら、呪われて死ぬ、なんてこともありそうだが、自らの良心に誓ってなすべきと信じることに対しては、人に何と思われようとやり通すことだ。睨まれて死ぬ者なし、なのである。
115 「我々は自分だけのために生まれたのではない」(We are not born for ourselves.)

(「世は相持ち」ともいう。「誰も自分のために(のみ)生まれたのではない」という意味のラテン語に由来することわざ)
 私が生まれた理由。もちろん、人は自己を離れて生きることはできない。その意味では、人は常に己とともに生き、己のために生きていると言えるだろう。
 しかし、人には生まれた理由を外に求める本性がある。他者のために生きようとする心は生来のもので、人は自分のためにのみ生まれたのではないことを知っているのである。問題はそれをどれくらい自覚して生きるか、である。
 本性のスイッチがしっかりとオンになっているか、われわれはときどき振り返って、わが身をチェックしてみなければならない。
114 「およそ何事をなすにも、至誠をもって基礎としなければ、成功させることはむずかしいのである。たとえ一旦は成功しても、砂上の楼閣のようなものである」

(波多野鶴吉:1,858〜1,918年。明治、大正期の実業家。高等養蚕伝習所を創設し、指導者養成に尽力。郡是製糸を設立。養蚕から製糸までの過程の組織化に尽力)
 誠を尽くすことの大切さを教えてくれる名言である。ポイントは「至誠をもって基礎とせよ」というところにある。どんなことがあっても流されず、失われることのない真の成功となり得るかどうかは、誠心誠意というものが基盤となっているかどうかなのだ。
 韓国の言葉に「至誠感天」とある。真心であたればその思いは天に通じる、という意味だ。神をも動かす原動力は、“誠”にあるというわけだ。混じりけのない誠意、すなわち、精誠を尽くして生きることが人生成功の極意なのである。
113 「己れに克つ」

(西郷隆盛:1827〜1877年。幕末、維新期の政治家。廃藩置県に尽力、西南 戦争で敗れ、自刃。『西郷隆盛文書』)
 常に共にあるのは己自身である。己自身といかに付き合うかが人生の勝敗を決する。
 旧暦の新年を迎えたが、改めて己と向き合い、己を見つめ、己を愛し、己を正して、この一年の決意を新たにしてみるのもいい。一生の友である己自身と一つになって生きてこそ人生の勝利者となる。第一に己を信頼せよ、そして己を克服せよ。
112 「(人は)優しさを実行する勇気がない。たとえ優しさがあったとしてもそれをきちっと表現できる勇気がなければ意味がない。勇気に支えられたアクションを起こしてはじめて優しさが生きる。勇気は実際の体験を通してでしか身につかない」

(ラジオ番組でのインタビューより 鈴木光司:1957年〜。作家、エッセイスト。1990年のデビュー作『楽園』は、1万年という時を超えた男女の愛を描く壮大なスケールの小説で、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。『リング』『らせん』『仄暗い水の底から』『エッジ』ほか)
 多くの人々に共通する課題が「行動しない」ことにあることは明らかである。
 理想的社会が勇気ある行動に支えられた社会と同義語である、とするならば、理想世界を希求する者たちがまずなすべきは勇気ある行動に尽きる。それが人間の持つ根源的な優しさ(真の愛)の実践だというのなら、これこそ、新青年たちの特許ではないか!
 勇気は体験を通してでしか身につかないのである。真の愛もまた、行動が伴わなければ、人々の心を動かすところとはならない。
 New Youth be Brave, and True Love in Action!
111 「離見の見にて見るところは、すなわち見所同心の見なり」

(『花鏡』より 世阿弥:1363〜1443年。室町前期の能役者、謡曲作者。曲 に「高砂」「敦盛」「井筒」。『風姿花伝』など)
 自身が演じながら、それを見物席から見るように見ること。世阿弥の言葉は、「プロ(プロフェッショナル)」とはどのようなものかを教えてくれている。自らを客観的に見つめられているか、という視点。
 われわれがしばしば仕事や人間関係で失敗する原因の一つに、自分の言動を客観視できていないという点が挙げられる。己の “技”を極めるために「客観」の視点は不可欠である。人に何かを伝えたいと思うなら、「離見の見」の姿勢は分かりやすいプレゼンテーションを行うための最大の味方となろう。
 リーダーシップの失敗もまた自らを客観視できないところから生じる場合が多い。主観と客観が一致するとき、共感が生まれ、繁殖が始まるのである。
110 「苦労をしなければ利益は得られない。(No pains, no gains.)」

(ことわざ)
 昨年、「ハーバード白熱教室」という番組がNHKで放映され、マイケル・サンデル教授の「政治哲学」の講義が話題になった。新政権の迷走ぶりも手伝って、わが国は “哲学”ブームの様相を見せている。
 引用のことわざは、苦労せずに得られる利益はないのだよ、と言い換えることもできよう。ことわざや名言名句といわれるものには “哲学”がある。今週の名言名句には苦労の哲学が流れている。
 日本には、「苦は楽の種」ということわざがある。楽しむためには、苦労もまた必要なものというわけだ。どんな利益を得るために、どんな苦労をすべきか。哲学は、自ら考えるところから始まる。
109 「明日は新しい日だ。(Tomorrow is a new day.)」

(ことわざ)
 「明日」という言葉も、「新しい」という表現も、「希望」という意味である。新年を迎えるということは、希望の年を迎えるということである。
 全国紙の元旦の社説 では、「めでたいとは言い難い年明けだ」(日経)とか、「何とも気の重い年明けで ある」(朝日)といった暗い声が発せられたが、新年を迎える正しい姿勢は、「われわれが希望の年にするのだ」という決意の心を表明することである。
 「New Youth」、すなわち、「新青年」という用語もまた、「輝ける未来の希望の星」を意味する言葉にほかならない。過ぎてしまったことでくよくよ悩まず、「明日は新しい日だ」と三回唱えてから就寝しよう。
 明日という日は希望に満ちている。
108 「世の人はわれになにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる」

(『無題』より 坂本龍馬:1835〜1867年。江戸末期の尊攘派の志士。西郷隆盛らと大政奉還を成功させる。京都、近江屋で暗殺される)
 世間の人が何と言おうと、自分のことは自分がよく知っているのだから、自分のや りたいことは自分にしか分からない、と龍馬は言う。
 そうである。自分が何をやりた いのかは、自分自身が分からなければならないのである。人々の多くは、世の中の情報に翻弄され、自分が何をすべきなのか、何をしたいのかを考えることさえも放棄しているかのようだ。
 現代ほど、自らの心と正面から向き合い、心の声を聞かねばならない時代はない。誰かが答えを持ってきてくれるのを待つ人生ではなく、自ら答えを 出し、自分自身がその答えを信じて責任を持って生きていかなければならないのだ。
 時代の大変動期に自分を見失わないよう、しっかりと地に足をつけて生きていこう。
107 「成功しようというあなた自身の決心ほど重要なものは、ほかに何もないのだ、ということを常に心に留めなさい」

(エーブラハム・リンカーン:1809〜1865年。アメリカ第16代大統領。弁護士の資格を取得後、上院議員選出馬から政治家に。1860年に大統領になるが、65年に暗殺された)
 われわれはいかにしたら成功できるかについて検討するために多くの時間を費やす。会議を繰り返し、議論を重ね、苦悩する。成功のためにはいかなるストレス漬けの生活も厭わないのが現代社会の様相というものらしい。
 しかしてリンカーンはかく語りき。要するに物事の成就は、本人の決意次第なのだと。
 読者の皆さん、間もなく2010年が行き、新しい年2011年が来る。決意は離陸のための助走でもある。本番を走りきるために、一足先に2010年にけりをつけて、これからの1週間余りを新年の勢いをつける助走期間としてみてはいかがだろうか。
106 「約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活はできなくなるからだ」

(『私の日常道徳』より 菊池寛:きくち・かん 1888〜1948年。大正、昭 和期の小説家、劇作家。久米雅夫らと「新思潮」を創刊。雑誌「文藝春秋」を創刊。 『恩讐の彼方に』『父帰る』『心の王国』『真珠夫人』など)
 少しでも社会生活をしたことのある人であれば、「約束を守る」という行為が、決 してたやすいものではないことを経験を通して知っているだろう。
 だからと言って、 約束が守られなくなれば、人間関係は崩壊し、社会は無秩序化現象を起こすことになるに違いない。信頼や信用というものは約束が守られることを前提としている。約束を破れば、信用は失われ、人は孤立の沼に沈んでいくことになる。
 社会は約束事で成 り立っている。約束を守ることは社会人としての義務である。人間として生きる基本 的な姿勢を説いたものだが、重い名言である。
105 「人間がその才能を爆発的に開花させるのは、『他人のため』に働くとき…です」

(『街場のメディア論』より 内田樹:うちだ・たつる 1950年〜。現在、神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に『街場のアメリカ論』『街場の現代思想』『街場の教育論』『街場の中国論』など。2007年に『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞を、『日本辺境論』で新書大賞2010を受賞)
 才能を開花させることは、自己実現の重要な一側面である。しかして、それは他者によってもたらされるものだという。
 内田樹は「人間の潜在能力は『他者の懇請』によって効果的に開花するものであり、自己利益を追求するとうまく発動しない……『世のため、人のため』に仕事をするとどんどん才能が開花し、『自分ひとりのた め』に仕事をしていると、あまりぱっとしたことは起こらない」とも語る。
 さらに、「宗教用語ではこれを『召命』(vocation)」だと説明し、「神に呼ばれて、ある責務を与えられること(天職)」だと述べる。真なる自己実現(才能、個性の開花)は、“召命”を得たる人生によって成し遂げられる。
 われわれは神に呼ばれ、他者のために生きてこそ、己を知るところとなるのである。天職を得たいならば、まずは、神と出会い、人に仕えなければならない。
104 「人間の心と体というのはきちんとつながっていまして、心が折れると体も一気にどんどんだめになっていくんですね」

(ラジオ番組のインタビューより 栗城史多:1982年〜。冒険家、登山家。2004年6月に初の海外旅行で北米大陸最高峰「マッキンリー」の単独登頂を成功させる。その後、南米最高峰「アコンカグア」をはじめ、7大陸最高峰のうち6大陸で単独登頂を果たす。
登頂時にインターネット動画配信を行っていることも話題。『一歩を越える勇気』『NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法』)
 心と体はつながっている。限界を超える挑戦を経験した者の共通した実感である。
 われわれが「〜と〜」というように“and”でつなぐとき、それは主体と対象の関係概念である。宇宙現象のすべては関係性の中で営まれているが、そのことを客観的、普遍的事実として認識することは容易ではない。限界を超えるという、二つのものの間を境界で区切る一線を越えて初めて見いだす境地である。
 主体と客体、主観と客観は運命共同体である。心と体がつながっているように、私と宇宙はつながっている。主体としての自覚は対象を呼び起こし、主観と客観の統一によってわれわれは完成の頂に立つのである。
103 「ひとが/ひとでなくなるのは/自分を愛することを/やめるときだ」

(『奈々子に』より 吉野弘:1926年〜。詩人。『消息』『陽を浴びて』『自然渋滞』など)
 自分を大切にすることのできる人は、他人(ひと)を大切にできる。自分を愛することができる人は、他人を愛することができる。
 命を大切にする、という。自分の命の重みが分からなくて、他人の命の重みが分かるはずもない。自らの生きる意味が分からずに人は人を愛することはできまい。
 “他我自覚”は“自我自覚”から始まるのである。
 他人を中傷する人は自分をさえ信じられない者に違いない。自分を愛することをやめた人は人間をやめた人だ。
102 「人に施したる利益を記憶することなかれ、人より受けたる恩恵は忘れるなかれ」

(バイロン:1788〜1824年。イギリスの詩人。『ドン・ジュアン』など)
 至言であるが、これを実践することは簡単ではない。たいていの場合、人にしてあげたことはよく覚えているが、人からしてもらったことはすぐに忘れてしまうからである。
 甚だしくは人の恩など初めから気付かぬ輩(やから)さえいる。与えたことを忘れ、受けたことを永遠に記憶する人生を送られたら、どれだけ幸せだろうか。
 いつも「してもらいたい」とばかり思って生きている人に本当の幸福が訪れることは決してないだろう。なぜなら、足ることを知ることが満足のはじめであり、人の喜びを感じることが幸福の源泉だからである。
101 「われわれはまあこの世に間借りしているようなもので、何もむきになることはない」

(『浮き燈台』より 庄野潤三:1921〜2009年。小説家。『プールサイド小景』で芥川賞、『静物』で新潮社文学賞、『夕べの雲』で読売文学賞、『紺野機業場』で芸術選奨受賞)
 「この世」をどう位置づけるかということは、「あの世」をどう考えるかということでもある。この世しかないと考えるか、あの世が存在すると認めるかで、随分、この世の風景も違ってきそうだ。
 人の心は真っ白なキャンバスのようなもの。そこにどんな絵が描かれるかは自分次第である。確かに、肉体の生命が限りあるものであることは間違いない。しかし、わが魂が永遠の世界に属するものであると認めた瞬間から、この世の生活は肉体に間借りした人生となる。
 決して楽ではないが、それもまた人生というもの。すっと肩の力を抜いて、この世の生を楽しもうではないか。