Global Youth Net 今週の名言名句「言葉は力なり」<バックナンバー>

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160 「意気地のない人や、なんとかなるさと思って引っ込んでいるような人が、世の中を変えたためしはない」

(ユルゲン・E・シュレンプ:1944年〜。ダイムラー・ベンツ元会長兼CEO。見習工から社長にまで昇り詰めた人物。ダイムラー・ベンツの経営危機を立て直した)
 2012年、新しい年が出発した。自然災害と原発事故の災禍に見舞われた2011年は、日本と日本人にとって歴史的な節目となる年となった。そのような2011年を送って迎えた2012年を、「私」はどう生きるのか。意気地もなく、人任せの人生を生きていくのか。
 勇気と英断―。これが自らと世界を変革する原動力である。年頭に当たって、まず戒めるべきは自らの生きる姿勢である。2012年を自覚的に生きていこう。
159 「我等は泣く為に作られ、悲しむ為に作られたるにはあらずや」

(『柴刈る童』より 馬場孤蝶:1869〜1940年。明治、大正、昭和期の翻訳家、随筆家。北村透谷らと雑誌「文学界」で活躍。『明治文壇回顧』『葉巻のけむり』など)
 人生は楽しいことよりも苦しいこと、悲しいことのほうが多いのかもしれない。今年はいつにも増して災害の多い年となり、悲しみの涙が多く流された。しかし、私たちの存在理由は苦しみや悲しみではない。苦難を乗り越え、心から笑い、心から楽しむ人生を過ごしてこそ、それが生きていることの証しとなるのである。被災地の復興もまた、生きる意味をもってなされなければならない。
158 「平常心をもって一切の事をなす人、是を名人と云ふ也」

(『兵法家伝書』より 柳生宗矩:1571〜1646年。安土桃山時代から江戸初期の剣術家。但馬藩主。『兵法家伝書』など)
 平常心とは、普段と変わらない心。揺れ動くことのない心理状態をいうが、このような心を持続させることは容易ではない。どんなことがあっても感情的に乱れず、自らの心を自制できる者のみが平常心の主人となる。平常心で生きる者が名人である。名人とは己の心をコントロールできる者であり、何事に対しても変わらない心で対する者なのである。
157 「一つの言葉が人生の重荷や苦痛の全てから私たちを解放してくれる。その言葉とは愛である。(One word frees us of all the weight and pain of life; that word is love.)」

(ソフォクレス:前496頃〜前406年。古代ギリシャの劇作家。三大悲劇詩人の一人)
 愛の持つ力がどれほど大きなものかを伝える、紀元前に発せられた名言名句である。かように「愛」は、古今東西、人間にとって最も重要な意味を持つ言葉なのである。
 愛は全てを解放するという。また、そのような愛こそが、真の愛と呼ぶべきものなのである。愛という言葉でさえそうであるとするならば、真の愛の実体が現れるとき、それこそが世界、否、宇宙の中心となり、全てを包んでくれるものとなるだろう。
156 「チャンスとは強いられて与えられるものではなく、不安な心を抑えて奪い取るものである」

(関本忠弘:1926年〜2007年。日本の実業家・技術者。元日本電気株式会社[NEC]会長)
 チャンスは自ら望んでこそ、チャンスである。しかし、越えなければならない壁がある。それは、関本忠弘氏が言うところの「不安な心」である。チャンスとは「変化の時」でもあるからだ。人は往々にして変化に対して不安を抱くものだ。チャンスをつかみ取るためには勇断が必要だ。それが、不安な心を超えてチャンスの山を登る原動力となる。頂上に向かって登らされる者となるべからず。勇気と気概をもって自らの意志で頂上を目指そうではないか。
155 「働くというのは、はたを楽にしてやることだ」

(『路傍の石』より 山本有三:1887〜1974年。大正、昭和期の小説家、劇作家。人道主義的、理想主義的人生観に基づく作風。『女の一生』『路傍の石』『嬰児殺し』『同志の人々』など)
 人は何のために働くのか。これは実に重大な問いかけである。食べるために働く、何か欲しいものを手に入れるために働く、生きていくために働く、家族のため、社会・国家のために働く…と、答えはいろいろだろう。いずれにせよ、人は何かのために働いているのである。山本有三は、働くことに「はたを楽にする」という意味を与えた。「はた」とは、「傍(側)」である。誰かを楽にしてあげるため、誰かを喜ばせるために働くとき、その苦労も報われるというものだ。
154 「若い人たちはもっと積極的に一期一会の精神を、日々の生活の中に生かすべきである」

(『わが一期一会』より 井上靖:1907〜1991年。昭和期の小説家。『闘牛』で芥川賞受賞。『淀どの日記』『氷壁』『天平の甍』『敦煌』『楼蘭』『風濤』など)
「一期一会」とは、一生に一度だけの機会、生涯に一度限りであること、生涯に一回しかないと考えてそのことに専念する、という意味である。私たちはあまりに物事を軽く扱ってはいないか。“たった一度しかない”“二度とない”という思いを抱いて生活しているだろうか。人や物事との出会い、たった一度の人生をどう生きるかを真剣に考え、心に刻むように日々生きるべきである。
153 「どんな事態にも、第三の道がある」

(『打たれ強く生きる』より 城山三郎:1927〜2007年。小説家。『輸出』『総会屋錦城』『鼠』『落日燃ゆ』など)
 万事休す、という体験をお持ちだろうか。困難に当たって万策が尽きて、もう、どうにもこうにも前に進むことができなくなるという状態のことである。直木賞作家、城山三郎は言う。「どんな事態にも、第三の道がある」と。第三の道とは、別の方法や考え方、発想であるかもしれないし、第三者の存在かもしれない。重要ことは、どんな事態に遭遇したとしても、予期せぬ、想定外の道が必ず存在するのだという信念を持って生きていくことである。
152 「それを夢見ることができるならば、あなたはそれを実現できる。(If you can dream it, you can do it.)」

(ウォルト・ディズニー:1901〜1966年。アメリカの映画制作者、監督。 ディズニーランドという夢を完成させ、この世を去るが、富や名声よりも夢を大切にした)
 夢の大切さを教えてくれる名言名句は少なくないが、ウォルト・ディズニーの金言の意義は、「夢を描くことができるなら、その描かれた夢は必ず実現できる可能性があるのだ」と表現した点にある。われわれは夢が実現できるかどうかを心配するよりも、実現したいと心から願える夢を描くことに腐心すべきなのだ。
151 「行き詰まりは展開の一歩である」

(『草思堂随筆』より 吉川英治:1892〜1962年。小説家。大衆文学に独自 の分野を開く。1960年、文化勲章受章。『鳴門秘帖』『宮本武蔵』『新・平家物 語』『新水滸伝』など)
 人は行き詰まると悩む。これがいいのである。悩む、考える。立ち止まって思案する。ピンチはチャンスなのである。成功への道は試行錯誤の連続と相場が決まっている。行き詰まりを恐れるべからず。人は悩み苦しんでこそ、新しい一歩を獲得するのである。
150 「小事に拘わりて大事を忘るな」

(ことわざ:類句「小事の前の大事」
 目先の小さなことにとらわれて、重要なこと、大きなことを見失うな、ということだが、現実の生活や仕事のシーンは、小事の連続、小事の積み重ねでなされている。小事あっての大事であることは間違いない。しかし、一歩、その「小事」が何のためになされているのかという「大事」への方向性からずれ始めたら、これは要注意である。常に自らの生きる目的が何なのか、今、自分は何のために行動しているのかをチェックし、確認することが肝要なのである。
149 「熱意は力なり。必ず到着せんとするところを指せる、一種の引力なり」

(『熱意』より 北村透谷:1868〜1894年。明治時代の評論家、詩人。島崎藤村らと雑誌「文学界」を創刊。『蓬菜曲』『厭世詩歌と女性』など)
 熱意は引力である、と透谷は言う。言い換えれば、目的達成に向かう力である。向かう力であれ、引き寄せる力であれ、この二者間には一つになろうとする作用の力が働いているのである。熱意とは、主体と客体が一つになろうとする力である。主体は客体であり、客体は主体である。その中心には核が存在し、そこから無限の熱エネルギーが生じるのである。愛の力が暴力に打ち勝ち、愛の力が憎しみを溶かす理由がそこにある。
148 「実行せざる思付(おもいつ)きは空想と称し、又(ま)た妄想と称す」

(『欺かざるの記』より 国木田独歩:1871〜1908年。明治時代の詩人、小説家。『欺かざるの記』『独歩吟』『武蔵野』『少年の悲哀』『夫婦』など)
 思考はどこで育つのか。独歩の言葉を借りれば、思考の育ての親は行動であり、実践となる。われわれには、しばしば、素晴らしいアイデアやユニークな発想が浮かぶ。問題は、それをどうやって形とし、公共の宝として結実させられるかである。
 われわれの思考は実践によって鍛えられ、行動によって成長・完成していくのである。 良き思考を腐らせてはならない。
147 「学問は博(ひろ)く学ぶべきものなり」

(『名将言行録』より 細川幽斎:1534〜1610年。安土桃山時代の武将、歌人。『百人一首妙』『伊勢物語闕疑抄』『衆妙集』『聞書全集』『耳底記』など)
 博学という。同義で博識という言葉もある。知識は何のために必要なのか。まさか、それを自慢するためのものではあるまい。“論語読みの論語知らず”とは、実践の伴わない様をいうが、知識のための知識であっては、普遍的価値を認められるには至らないだろう。
 知識は、学問は、適切な判断を下すために必要なものである。貪欲に学ぶことは生きる力に通ずる。先入観に縛られ、知識の奴隷にならないためにも、 学問は幅広く、継続して学ぶべきである。
146 「成功を確信することが成功への第一歩である」

(ロバート・シュラー:1927年〜。アメリカの哲学者、牧師)
 信じることの大切さを教えてくれる金言である。
「確信」の主体は誰か。それは成功を目指す本人自身である。成功を確信するためには、まずもって自ら自身を信じる ことができなければならない。自分を信じられぬ者が成功への確信を手にすることはできないのである。
 成功への第一歩は、自分を信じることだ。二歩目も三歩目も、そして、最後まで自分を信じよう。それが成功への黄金律である。
145 「一日延ばしは時の盗人である」

(『うずまき』より 上田敏:1874〜1916年。明治時代の翻訳家、詩人。『耶蘇』『みをつくし』『文芸論集』『海潮音』など)
 耳の痛い言葉だが、至言である。仕事に限っての話でもないだろうが、締め切りがあり、納期があればこそ、仕事というものは成り立つ。締め切りもなく、納期もなしで、果たして人間、何事かを継続し、積み重ねていけるものだろうかと思うほどである。
 締め切りは、裁き主であると同時に救い主でもあるのだ。人生、そう長いものでもあるまい。いつまでも「時の盗人」にやられてばかりではいけない。先回りして、 むしろ人に「時を与える人」となりたいものだ。
144 「生きるうえで大切なことは、できないことはできないと言うことです」

(梅棹忠夫:1920〜2010年。民族学者、比較文明学者。国立民族学博物館顧問。『モゴール族探検記』『文明の生態史観』『知的生産の技術』)
「できない」と簡単には言えないのが人間のさがである。見栄っ張りなのである。しかし、「できない」のに、安請け合いすれば、精神衛生上、決して良い結果を招来することにはならない。そればかりでなく、周囲にも多大な迷惑をかけることにな る。(自省!)
「生きるうえで大切なこと」。おのれのできることが何かを知り、またできることを一つでも増やそうと努めることが、幸せな人生を送る秘訣だということだ。
143 「神は自らを助けようと努力する者を助けることが好きである」

(アイスキュロス:前525〜前456年。ギリシャの悲劇詩人。三大悲劇詩人の一人。神々の正義と運命に抵抗する人間の姿を描く。三部作『オレステイア』など)
 人間も同様であろう。努力する者にはサポートしたくなるものだ。努力する者とは、「自らを助けようとする者」である。自分は何をしたいのか、自分は何をしようとしているのか、これを自覚できなければ、自らを助けようにも助けられないのである。自らが何者なのかが分からなければ、神も人も現れてくれはしないのだ。
142 「遅くとも、何もやらないよりは、やるのがよろしい。(Better late than never.)」

(リヴィウス:前59〜後17年。ローマの歴史家。40年の歳月をかけて『ローマ建国史』(120巻)を著す)
 時間に関する格言は、心の在り方を問う金言でもある。2000年前に生きたロー マの歴史家の名言が時を超えてわれわれの心に届く。「行動せよ」「手を尽くせ」「努力せよ」「諦めるな」……と。心の鍛錬を忘れてはならない。
141 「われ、事において後悔せず」

(「独行道」より 宮本武蔵:1584〜1645年。江戸前期の剣豪。巌流島で佐々木小次郎を倒した。『五輪書』)
 後悔とは、前にした事を後になって悔いることである。後悔先に立たず、である。後悔にとらわれていては、本当の意味で前に進むことはできない。失敗に対して反省することは大事なことである。反省は、失敗を繰り返さず、未来の成功へと導く海図となる。くよくよ悔やんで道を見失うことのないよう、失敗を肥やしとし、バネとして前を向いて生きていこう。