Global Youth Net 今週の名言名句「言葉は力なり」<バックナンバー>

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180 あらゆるいばらの道を切り開き、誰も手がけない新しい創造と取り組め

(井深大:1908〜1997年。昭和期の実業家。「動くネオン」で、パリ博覧会優秀発明賞受賞。東京通信工業(ソニー)を創立し、社長、会長、名誉会長を歴任。1989年、文化功労賞に指定される。)
 茨の道なんぞ歩きたくもないし、誰も手がけたことのないものなど思いもよらない、というのがフツーの感覚であろう。しかし、考えてみよう。人間の歴史は、茨の道を切り開き、新しいものを創りだすことの連続だったのである。その結果が今である。金言は、井深大(まさる)氏の人生そのものであった。われわれは氏の人生の結果に乗っかっているし、先人たちの血と汗と涙の代価の上に生きているのである。私もまた未来のために、茨を探し出し、苦労の道を買って出ようではないか。
179 若いことは素晴らしいことだが、成熟して経験豊かだというのもそれに劣らず望ましいことである

(バーナード・バルーク:1870〜1965年。アメリカの実業家、政治家。ニューヨークの仲買人として成功する。ルーズベルトのブレーンの一人)
 若さを保つ努力は決して無駄ではない。昨今はアンチエイジング(抗老化医学)も盛んだ。しかし、人は必ず年を取る。肉体は否応なく老化し、いずれその役目を終えるのである。これは普遍的真理の領域に属するものだ。若さにこだわって年を取ることを寂しく思うより、心豊かな経験を積み重ねることを日々の目標として生活するほうが賢明である。
178 人間には人間らしい仕事をさせよ。そのために機械がある

(土光敏夫:1896〜1988年。昭和期の実業家。石川島播磨重工業を設立し、社長、会長を歴任。日本の財界の指導に尽力)
 道具の歴史は人類の歴史と共にあった。道具を作るのも使うのも人間である。物質文明の恩恵にたっぷり浸かってしまった人類は、物の豊かさ、便利さの中で、いつしか人間らしさを失ってしまったのか。便利な道具やすごい機械に囲まれて、人間らしい生活をし、人間らしい仕事をするのも簡単じゃないのだ。
177 笑はれるのを恐れるよりは心にないことを云ふのを恐れなければいけない

(『幸福者』より 武者小路実篤:1885〜1976年。明治、大正、昭和期の白樺派の代表的小説家、劇作家。雑誌「白樺」を創刊。『お目出たき人』『真理先生』『幸福者』『愛慾』など)
 人はしばしば心にもないことを口にする。心の健康には良くないことである。己の心を偽った言動はいつしか一人歩きし始め、自らを苦しめることになる。自己嫌悪…。果たして自分の本当の心の声、すなわち心にある真の思いが何かも分からなくなってしまう。こうなると、最早自分は自分でなくなってしまうのである。自分らしく生きること、それは心と体(行動)の一致から始まるのである。
176 困難や災禍ほど人を鍛えてくれる。富貴、福運は、はじめ味方のようだが、いつか最大の敵となる

(サミュエル・スマイルズ:1812〜1904年。イギリスの著述家。代表作の『自助論』は、日本では明治時代に中村正直訳『西国立志編』として、愛読された)
 人は常に幸運であることを願うが、人生いいことばかりとはいかないもの。問題は、困難や災禍に見舞われたとき、それをどのように受けとめるかである。運を敵とするか、味方とするかは、結局自分次第である。人は苦労によって鍛えられると考えることは賢明なことだ。「天は自らを助くる者を助く」という。こちらもまた、スマイルズの名言である。
175 生きているということ いま生きているということ

(『うつむく青年』より 谷川俊太郎:1931年〜。詩人。『二十億光年の孤独』『あなた』『ことばあそびうた』など)
 谷川俊太郎の詩である。「鳥ははばたき、海はとどろき、かたつむりははい、人は愛し、あなたの手のぬくみ、いのちということ」と続く。人が生きるということは、人を愛するということ。今を生きているかどうかは、今、愛を実践しているかどうかで決まるのだ。愛のぬくもりが私たちの永遠の命となる。
174 一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになる

(『ながい道』より 山本周五郎:1903〜1967年。昭和期の小説家。『須磨寺附近』『樅ノ木は残った』『赤髭診療譚』『さぶ』『ながい坂』『青べか物語』など)
 急いても、ゆっくり進んでも、ゴールにたどり着くという点では同じであるという、比喩的な人生の意味を含んだ言葉である。これは実際の登山においても経験することだ。速いペースで歩いても、結局、息が上がって休憩の時間を多く取ることになるものである。
 一見ゆっくりであっても、自分のペースを保って着実に歩みを進めてみると、所要時間にそう大差なしという場合が多い。山歩きも人生も、山あり谷ありの長い道のりである。焦ることはない。計画に従って、一歩、一歩進むほうが、むしろ心身の健康を得るのである。
173 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる

(『青春』より サミュエル・ウルマン:1840〜1924年。アメリカの実業家。『八十歳の歳月の頂から』が唯一の詩集。「青春」はその一編)
 相撲の力士やスポーツ選手は、しばしば「気力の衰え」を理由に引退を表明する。個人差はあるが肉体の老いは確実にやってくる。肉体と精神の二元世界を認識する瞬間だ。しかし、地上の生を生きている限り、体と心は一体のものである。別々に生きるわけにはいかないのだ。
 ウルマンの言葉は人生の核心に触れる。理想(憧れ)を 失ってはいけない。人は年を重ねてこそ、憧れに生きるべきなのだ。新しく生まれるという「憧れ」に向かって。
172 愛することは愛されることよりも百倍も尊いし、愛の本質はあくまで、愛することにある

(『愛の試み』より 福永武彦:1918〜1979年。戦後の小説家。中村真一郎、加藤周一と「マネチ・ポエティク」を結成。『風土』『忘却の河』『死の島』など)
 当メルマガ読者諸君にはコメント不要である。愛他主義に生きること、結局はそれが最も満足し、幸福を感じる人生なのである。
 問題はそのように実際に生きてみることだ。実際に生きて、そのように感じてみることがなければ、愛他主義も絵に描いた餅以外の何ものでもない。
 美味しいものを食べて美味しいと感じるように、愛他主義を実践して愛の本質に酔わねば空腹は満たされぬのである。
171 つまずいたっていいじゃないか人間だもの

(相田みつを:1924〜1991年。書道家。10代の頃から書道家を志す。同時に禅僧に師事し、在家宗教家。『にんげんだもの』『おかげさん』『いのちいっぱい』など)
 誰だってつまずきたくはないし、人をつまずかせたくはないだろう。人生、順調なときばかりではない。目の前には大きな石、小さな石、よけて歩いているつもりでも、思わずつまずいてしまう。つまずいても転ばぬよう、たとえ転んでもちゃんと起き上がって再び前に進むよう…。さあ、足腰を鍛えておこう。春は近い。山でも登ろうか。
170 「運はハコブなり」

(安田善次郎:1838〜1921年。明治、大正期の実業家。安田銀行を設立するなどして一代で安田財閥を築く。日銀理事。日比谷公会堂、東大安田講堂を寄付)
 「運」は「運(はこ)ぶ」と読む。運とは、運ぶもの、運ばれるもの。何事も運次第だといって、ただ手をこまねいているばかりではいけない。自ら、成功に向かって行動する者こそ、運を手にすることができるのだ。なぜなら、「運」は行動する者と共にあろうとするからだ。“運動”する者、すなわち動く者と運は共にあるのだ。
169 「重いものをみんな棄てると/風のようにあるけそうです」

(『人生』より 高村光太郎:1883〜1958年。大正、昭和期の彫刻家、詩人。彫刻に『黒田清輝胸像』『光雲胸像』など。『道程』『智恵子抄』など)
 登山をするとき、その日程や内容によっては背負うザックの重さも違ってくる。生きるためには「重いもの」を自ら背負わなければならないこともある。しかし、いまだ登頂ならずとも、登山の途中でザックを下ろして、森林の樹木の香りを吸い込んだり、尾根道に立って美しい自然を眺めながら両腕を広げて流れる風に身を委ねることもまた、山歩きの醍醐味である。
 楽しみのない、つらいばかりの登山を人は好むだろうか。困難の伴う山歩きであればあるほど、楽しむ術(すべ)を持たなければならない。ときどき、重荷を下ろしてみることは、心の健康維持にも不可欠である。
168 「人よりもほんの少し多くの苦労、人よりもほんの少し多くの努力で、その結果は大きく違ってくる」

(鈴木三郎助:1867〜1931年。明治、大正期の実業家。海草からヨードを作りだすことに成功。池田菊苗の調味料製造法の特許を共有し、「味の素」を開発して世界に広めた)
 「苦労」に「努力」。これを格好悪いと考える世代があり、時代があった。あなたにとっても、できればしたくない「苦労」に「努力」だろうか。
 化学調味料「味の素」を世界に広めた鈴木三郎助は言う、「苦労」と「努力」で結果が違ってくるのだよと。人生の成功の秘訣、それは「苦労」を買って出ること、「努力」を惜しまぬこと。苦労すること、努力することを楽しもう!
167 「未熟なうちは成長する。成熟すれば、あとは衰えるだけだ」

(レイ・クロック:1902〜1984年。マクドナルド創業者。50歳を過ぎてからマクドナルドを創業。ファーストフードの基礎を作る)
 人は満足を求めて生きる。未熟は成熟を指向する。成長とは何か? 現状に満足することなく、高みに向かって進むことである。下から上へ。己を低くすること、これが成長の要因である。己が頂点に立ったとき、成長は停止し、衰退の道が始まるということだ。
166 「千里の道もひと足宛(ずつ)はこぶなり」

(『五輪書(ごりんのしょ)』より 宮本武蔵:1584〜1645年。江戸前期の剣豪。巌流島で佐々木小次郎を倒した。『五輪書』)
 どんなに長い道のりでも、一歩ずつしか進まない。逆を言えば、一歩ずつ進んでいけば、必ずいつかはたどり着くということだ。問題はその一歩をどう生きるかである。
 “ひと足宛はこぶなり”という下りに剣の達人の極意を見る。人はいかに成功し、勝者となるか。ひと足ずつ運ぶ者、これを真の強者と呼ぼう。
165 「正義は事実より大いなるものなり。否な、正義は大事業にして、正義を守るに勝る大事業のあるなし」

(『基督信徒の慰め』より 内村鑑三:1861〜1930年。明治、大正期の宗教家、思想家。キリスト教の代表的指導者。「無教会主義」を唱える。『基督信徒の慰め』『求安録』『代表的日本人』など)
 とりわけ、冷戦終焉後、世界のグローバル化は急速度に進行した。米国中心、マネー至上主義のグローバリズムである。
 しかし、「9・11」が起こり、そして 「3・11」に見舞われた。これらの出来事は一国の事件や災害にとどまらず、“地球規模”の“歴史的な事象”となって世界の人々の心を映し出した。
 人々は静かに問い始めている。「正義とはなんぞや?」と。人間の欲望が肥大化し、制御不能に陥ってしまった現代社会……。人類は行く道を見失ってはいまいか。事業よりも大いなる正義とは? 我々は何が正義なのかを今こそ真剣になって探し出さなければならない。人類が共通に遵守すべき正義が何かを。
164 「創業は易く守成は難し」

(『唐書』:二十四史の一つ。中国の唐時代の歴史を記したもの)
 新しい事を始めること、創業もまた、決して簡単なものではない。しかし、もっと難しいのは守成であると先人は言う。守成とは、成業を保守するという意味である。成業とは、学業や事業を成し遂げること。事業を守り、維持していくことは創業以上に困難が伴う。始めることよりも始めたものを継続させることの方が大変だということだ。
 ゆえに、持続力こそが最も重要なファクターであると言うことができるのである。持続はバトンがつながってこそ可能となる。実は後継者の育成という課題の解決が最も重要かつ困難な仕事なのである。
163 「逆境も考え方によっては素晴らしいもの」

(『お気に召すまま』より シェイクスピア:1564〜1616年。イギリスの劇作家、詩人。『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』の四大悲劇を著す)
 乗り越えられない逆境はない、という。しかし、そのような信念を持つに至るためには、信じるに値する根拠が必要となる。
 人は「素晴らしいもの」を好む。逆境を克服する力とは、逆境を素晴らしいと思える発想の転換力だ。逆境も、それを受け入れ、愛すれば、順境となろう。何事も考え方次第である。
 人間とはかくも主体的な存在なのだ。人生を素晴らしいものとするために、敵をも許せ、愛せよ、である。
162 「小銭を大切にすれば大金はおのずからたまる」

(ことわざ)
 日本には、「塵も積もれば山となる」ということわざがある。類義語に、「千里の道も一歩から」、「Many a little drop of water makes an ocean.(多くの小さな水滴が大洋をつくる)」のことわざも。小さなことの積み重ねが成功の秘訣であるという“ゴールデン・ルール”は万国共通のものらしい。
 まずは、目的地に向かう小さな一歩を踏み出すこと、そしてその一歩を継続すること。何事も地道なことから始まって、コツコツと努力を重ねた結果として成功は現れるのである。登れない山はない!
161 「一度言葉が口から出れば、取り戻すことはできない。
(Once a word has been allowed to escape, it cannot be recalled.)」


(ホラティウス:前65〜前8年。ローマの詩人。『書簡詩』『頌栄』『随想詩』『エポードス集』など)
 誰でも、一度ならず、「言葉で失敗した」という経験をお持ちではないだろうか。 思い出すたび、「ああ〜」と、ため息とともに“覆水盆に返らず”の心境に浸る。しかし、一方で人は同じ過ちを繰り返す。なぜなら、言葉は心の表れだからである。心は言葉となり、実体をまとってその正体を表す。心は永遠のものだ。ゆえに、一時的に忘れられることはあったとしても、永遠に消え去ることは決してないのである。言葉を変えるためには、心を変えるしかない。それで、古今東西、人たるものは良心に従って生きることを願望するのだ。