Global Youth Net 今週の名言名句「言葉は力なり」<バックナンバー>

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40 「知識は能力となる時に貴い」

(『愛しき者へ』より 中野重治:1902〜1979年。昭和期の詩人、小説家、評論家。『歌のわかれ』『斎藤茂吉ノオト』『梨の花』『甲乙丙丁』など)
 「知識」はそれを用い、生かす「能力」と出合って初めて価値を持つ。データもまた、データのためのデータではなく、それが必要なときに必要に応じて活用されなければ意味がない。知識はそれを使いこなす能力を求め、言葉はその実体となることを願う。
39 「オセッカイこそ人間が生きていることの保証である」

(『ボロ家の春秋』より 梅崎春生:1915〜1965年。戦後の小説家。『ボロ家の春秋』で直木賞、『砂時計』で新潮社文学賞、『狂ひ凧』で芸術選奨、『幻化』で毎日出版文化賞受賞)
 人から「オセッカイ」と言われれば、いい気持ちはしない。「オセッカイ」は、「御節介:余計な世話をやくこと。他人の事に不必要に立ち入ること」(広辞苑)だが、ときとしてこのでしゃばり精神は人と人とを結ぶ重要なファクターとなる。オセッカイを受け入れる心を持ち、ときにはでしゃばり精神で物事に首を突っ込んでみることも必要だ。
 オセッカイが梅崎の言う“生きていることの保証”なら、オセッカイの存在しない世界では人間関係が成立する保証もないということになる。理屈を超えた感情の世界に真実が潜んでいることは少なくない。感じたことを言い、思っとおりに行動する。それが許される人間関係こそが、実は人間が求めている本心の世界なのかもしれない。
38 「打たぬ鐘は鳴らぬ」「蒔かぬ種は生えぬ」

(ことわざ)
 原因のない結果はない。打たなければ鐘はならないし、種を蒔かなければ、何も生えてはこない。何事か成果を得ようとすれば、行動しなくてはならないのだ。若い時の行動は未来の財産である。すぐに実らずとも、天の蔵に宝を積む生活を良しとしよう。今日は昨日の結果であり、明日は今日の結果である。
37 「人間、どこかで『何とかなるサ』って開き直ることがないとね」

(『BIG tomorrow』<1993、9号>より 西村京太郎:1930年〜。作家。『歪んだ朝』でオール読物推理小説新人賞受賞。『寝台特急殺人事件』がベストセラーに。トラベルミステリーの先駆け。『終着駅殺人事件』など)
 「人事を尽くして天命を待つ」(人間としてできる限りのことをして、その上は天命に任せて心を労しない)という言い方が敷居が高いなら、「人間、どこかで『何とかなるサ』って開き直ることがないとね」と言おう。努力を強調しなければならないときもあるが、気を楽に持つことのほうがいい場合もある。失敗を恐れるあまり前に踏み出せないとき、開き直ってみるのもいい。肩の力を抜いて、深呼吸してみよう。リラックスすることで見えてくるものもある。
36 「真理もいいが、幸福はさらにいい」

(『文学論』より ゴーリキィ:1868〜1936年。ロシアの作家。「ロシア文学の父」と言われる。戯曲『どん底』など)
 真理に生きる。これは全く正しい。論語に「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」とあるように、真理を求めることは誠に尊いことである。しかしながら、人生いかに生きるべきかを知るばかりでなく、それを幸福と感じることができれば、それはもっと素晴らしい。やはり、人生、幸福を感じてこそ、である。幸せを感じて生きていくために、真理探究の意欲の十分の一を使ってでも、幸福の探求に関心を向けてみるべきである。幸せを求めることは案外、真理への近道かもしれないのだから。
35 「人間は、何か一生懸命やり通さなくちゃいけないのさ」

(『象』より 別役実:1937年〜。劇作家。『象』『マッチ売りの少女』『不思議の国のアリス』『そよそよ族の叛乱』など)
 「一生懸命やり通す」というのが案外難しい。時代の空気というやつは結構手ごわいものだ。“何、頑張ってんだよ〜”と横槍が入ったり、“一生懸命やってどうなるってわけ?”などと、やる気をそぐ言葉はいくらでも飛んでくる。しかし、人が一生懸命な姿、何事か熱心に投じている様子は美しく、心打つものがある。「何か一生懸命やり通した」向こう側に見えてくるものが必ずあるはずだ。達成感や充実感もあるだろう、次の課題が現れてくるかもしれない。いずれにせよ、一生懸命やり通すことで人間成長するというものだ。
34 「悲しいから泣くのじゃなくて、泣くから悲しくなるという説もある。ニコニコすれば、自然に心の中も楽しくなる」

(『朝日新聞』<1982.4.1>より 斎藤茂太:1916年〜。精神科医、エッセイスト。日本精神病院協会名誉会長。歌人で精神科医であった斎藤茂吉の長男。『茂吉の体臭』『元気の素』『長男の本』など)
 「表情」が「感情」をつくる。人間には「表情筋」というものがあって、笑顔をつくると自然に頬の筋肉を持ち上げるようになる。すると、頭の中にあるたくさんのつぼが刺激されて脳に指令が届き、脳波がアルファ波になり、「脳内モルヒネ」という幸せホルモンが分泌するのだという。要するに笑顔はハッピーのもとなのである。この表情筋は「随意筋」という自分の意思によって動かすことができる筋肉なのだそうで、笑顔は自分でつくりだせるというわけだ。だから悲しくても笑おう。笑えばハッピーになるのである。幸せは自分次第。悲しそうな人がいたら、笑わせてあげよう、幸せにしてあげよう。
33 「仕事は手段にあらずして目的だ」

(志賀直哉:1883〜1971年。大正、昭和期の小説家。雑誌「白樺」を創刊。自伝的心境小説作品を手掛ける。『城の崎にて』『和解』『暗夜航路』など)
 仕事を手段ととらえる考えは少なくない。しかし、一方で仕事に生きがいを感じるという人も多いように、単なる「仕事=手段」の構図だけで人々の人生を論ずることはできない。一つの事実からものを言えば、大半の人々は生涯において多くの時間を仕事に費やしているということである。どうせ仕事をするのなら、それ自体に意義があると考えてみてはどうか。確かに自らの望む仕事に就けないこともある。しかしながら、仕事は目的だととらえる考え方は自ずとその人の生き方を変えていくに違いない。仕事に向かう姿勢が変わることで人生は変わる。「仕事は手段にあらずして目的だ」と考えてみるだけでも何かが変わるような気にならないだろうか。
32 「土台をしっかりしておけば、その時は時間がかかるようでも、あとの仕事に入ってからすべて段取りよく進む」

(『明夫と良二』より 庄野潤三:1921年〜。小説家。『プールサイド小景』で芥川賞、『静物』で新潮社文学賞、『夕べの雲』で読売文学賞、『紺野機業場』で芸術選奨受賞。)
 仕事を手段ととらえる考えは少なくない。しかし、一方で仕事に生きがいを感じるという人も多いように、単なる「仕事=手段」の構図だけで人々の人生を論ずることはできない。一つの事実からものを言えば、大半の人々は生涯において多くの時間を仕事に費やしているということである。どうせ仕事をするのなら、それ自体に意義があると考えてみてはどうか。
 確かに自らの望む仕事に就けないこともある。しかしながら、仕事は目的だととらえる考え方は自ずとその人の生き方を変えていくに違いない。仕事に向かう姿勢が変わることで人生は変わる。「仕事は手段にあらずして目的だ」と考えてみるだけでも何かが変わるような気にならないだろうか。
31 「現場で考え、研究せよ」

(豊田喜一郎:1894〜1952年。大正、昭和期の実業家。トヨタ自動車工業を設立し、社長に就任。自動車会議所、自動車工業会、経団連などの理事、会長を歴任)
 現場第一主義の豊田喜一郎の言葉。現場に赴き、現場で考え、現場で研究する。私たちには頭だけでなく、足があり、手があり、目も口も鼻もある。経験を積めば積むほどに、成功すればするほどに、現場を忘れてはならない。現場が出発点であり、現場が終着点である。成長と発展のスパイラルもまた、「現場」という軸を中心に成される。
 行き詰ったとき、問題が生じたとき、改めて現場に赴き、現場で考え、現場で研究してみよう。道は必ず見つかる。
30 「忙しいだけでは十分ではない。問題は何で忙しいかである」
It’s not enough to be busy. The question is what we are busy with.


(ヘンリー・デヴィッド・ソロー:1817〜1862年。アメリカの思想家。徹底した個人主義の主張は、個人を失いつつある後世に感銘を残す)
 現代社会はとにかく忙しい。大人だけではない。子どもたちも何だか毎日忙しそうだ。テクノロジーの発達は確かに便利で豊かな社会を実現してくれているが、アナログで天然な筆者にとっては日に日に忙しさに追われるばかりで、世の中のスピードについていくのも容易ではない。何のための文明の発達か。物心のバランスをよく保てないと、文字通り、心身崩壊、心を亡くして(忙)しまいかねない。
 私は何のために毎日忙しく暮らすか…。有意義な毎日、振り返って心の満足が得られる一日 …。我(個)を見失わず、しっかりと地に足の着いた人生を送らねば…自戒。
29 「物はとかく時節をまたねば、願ふことも成就せず、短慮は功をなさず」

(『占夢南柯後記(ゆめあわせなんかこうき)』より:滝沢馬琴、1767〜1848年。江戸後期の戯作者。『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝』『朝夷巡島記』など。)
 何事にもそれを成すのに時がある。ちょうど良い機会を「好機」と言うが、より良い成果を得るためには好機を待たねばならない。しかし、焦ったり、短気を起こしたり、せっかちになってはいけない。好機を迎えたなら、タイミング良く引き寄せ、しっかりとつかまえよう。
 待つことのできる忍耐力(精神力)、時を見極めることのできる判断力(決断力)、チャンスを生かすことのできる行動力(実践力)が必要である。これら三つの力を備えるなら、「時」は私の味方となる。
28 「一村は、互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしき事、朋友のごとくなるべし」

(上杉鷹山『伍什組仰出』民衆のための相互扶助組織の確立を目指した農民組合結成の条令より:1751〜1822年。江戸後期の大名、米沢藩主。藩政改革に尽力。米沢織を確立)
 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。これはイエス・キリストの言葉(ヨハネによる福音書:第15章13節)だが、かくも友のために生きる愛は貴い。朋友のごとく助け合うことのできる心の絆で結ばれたコミュニティーを、われわれは真に「共生社会」と呼ぶことができるだろう。
 イエスが説いた、そして鷹山が理想とした、真の愛の思想なくして今日の経済格差問題の解決が果たされることはあるまい。政治が取り組むべき緊急の方策は、国民に隣人を愛する心を覚醒させることである。
27 「努力だ。勉強だ。それが天才だ。だれよりも、三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ」

(奥村鶴吉著『野口英世』より:野口英世、1876〜1928年。明治、大正期の細菌学者。西アフリカで黄熱病の研究中に感染して没す)
 人間だれもが天才になれる。その王道は勉強である。努力である。生まれながら備わった能力や個性、才能も、引き出されなければ、磨かれなければ、鍛えられなければ決して本物にはならない。勉強せぬ者、努力せぬ者は天才の道を自ら放棄する者である。
 今からでも遅くはない。徹底的に勉強してみよう、努力してみよう。自らを天才ならしめる方法は、自ら自身の勉強・努力をおいてほかになし、である。
26 「大いなる炬(ひ)あらむとする時には、まず蘭松(らんしょう)を備(もう)く」

(『日本霊異記(にほんりょういき)』より:景戒(きょうかい)、生没年不詳。平安前期の僧。『日本霊異記』)
 “大きな火を燃やそうと思ったら、初めに火のつきやすい木を集めてこなくてはいけない”の意で、準備や段取りの大切さを説いた言葉である。目に見える結果が現れるにあたっては、必ず目に見えない原因の世界があることを自覚すべきであろう。素晴らしい構想や計画も、われわれの心のありようと、人や物事との出会いによってその出来は左右されるものである。心にある熱意が変わらず、誠意をもって準備し、良き出会いに恵まれるならば、われわれは「大いなる炬」を見ることができるに違いない。今日の歩みが明日の価値を生み出すことを信じ、大いなる夢の実現に向かって「蘭松」を備えよう。
25 「重いものをみんな捨てると 風のように歩けそうです」

(高村光太郎『人生』より:1883〜1956年。大正、昭和期の彫刻家、詩人。彫刻に「黒田清輝胸像」「光雲胸像」など。『道程』『智恵子抄』)
 生きていると、人は知らず知らずのうちに重荷を背負い込む。足取りが重くなり、心にゆとりがないと感じたら、思い切って荷物を降ろし、生活を見直して整理してみよう。何でもかんでも抱え込まず、余計なものは思い切って捨てることも肝要だ。他の人に任せるべきものは任せることも大事。
 人はひとりで生きているわけではない。イメージしてみよう、軽くなって風のように歩いている自分の姿を。思うだけでも、新しい人生の一歩を踏み出せるはずだ。
24 「仕事をするときは、上機嫌でやれ」

(ヴァーグナー:1835〜1917年。ドイツの経済学者。『財政学』など)
 ぶつぶつと不満を言いながら不機嫌に仕事をしている人を見るのは気分が良くない。それが身近な者であればなおさらである。嫌々やっているようでは仕事の能率も上がるはずがない。どうせやるなら、何事も前向きに嬉々としてやろうではないか。上機嫌で仕事をする者の周りには自ずと支援者や協力者が集まってくるに違いない。
23 「人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない」

(坂口安吾『教祖の文学』より:1906年〜1955。昭和期の小説家、評論家。『逃げたい心』『吹雪物語』『堕落論』『白痴』『女体』など)
 人の人生はいろいろな要素によって形づくられる。確かに、自らの力ではいかんともしがたい、大きな運命が立ち塞がることもある。しかし、結局は、自分の人生は自分自身がつくっている。“運命”に任せる人生か、自らの判断や決断によって“運命”を切り開くのか。運命任せ、宿命任せで決して人間の姿がつくられるものではないのだ。自動的な人生ではなく、自らの手による手動的な人生を歩んでいこう。
22 「限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ」

(アントニオ猪木:1943年〜。14歳でブラジルに移住。力道山にスカウトされ、日本プロレスに入門。ジャイアント馬場と双璧をなす。スポーツ平和党所属の参議院議員としても活躍)
 「限界」って何だろう。猪木の言うように「限界」とは人間自らがつくり出した“勝手な思い込み”であって、単なる思考の産物に過ぎないとすれば、確かに、「限界」などということを思いも考えも言葉にもしなければ、「限界」などというものは存在しなくなる。自分で限界と決めてしまうことが問題なのだ。限界などありもしない妄想なのだ。そう考えると、何だか元気が出てきませんか? 限界など忘れて生きていきましょう。「ダァーッ!」
21 「この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである」

(奥村鶴吉著『野口英世』より:野口英世<のぐち・ひでよ>1867〜1928年。明治、大正期の細菌学者。西アフリカで黄熱病の研究中に感染して没す)
 自分が何をすべきかを知るとき、人は生きる。人間の数だけ、仕事がある。人間の数だけ、生きる道がある。自らの能力を発揮することができれば、人はどれほど希望を感じて生きていくことができるだろうか。人それぞれに役目があり、すべき仕事がある。神は人の数だけ仕事をもまた、準備なされたのだ。探し出そう。必ず見つかるはずだ。