Global Youth Net 今週の名言名句「言葉は力なり」<バックナンバー>

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80 「人は良心に従って行動するほど快きはなし」

(武藤山治(さんじ):1867〜1934年。大正、昭和期の実業家、政治家。鐘ヶ淵紡績専務取締役、社長を歴任。実業同志会を創立し、会長に就任)
 「良心」は人間のみに与えられた神からの最高の贈り物に違いない。この賜物を生かせたなら、良心のままに生きられたら、最高の喜びが共にあるだろう。しかし、神は人間に対して同時にもう一つの贈り物を下さったことを忘れてはならない。それは「責任」である。「良心」と「責任」は表裏一体のものでもある。良心に従って行動しようとすれば、常に責任が問われるものである。真の喜びは責任の向こう側にある。
79 「愛とは他から奪うことではなくて、自己を他に与えることである」

(『三太郎の日記』より 阿部次郎:1883〜1955年。大正、昭和期の哲学者、美学者。夏目漱石に師事。『三太郎の日記』『人格主義』など)
 愛とは何か。愛の定義をどう据えるかによるが、「自己を他に与えること」と規定すれば、関心を引こうとしたり、自分の満足のためであったり、見返りを期待するものであれば、それは愛とは言えないということになる。自己を他に与えることは、時に犠牲が伴う。自己の欲望を否定しなればならないこともあるだろう。
 愛とは、自己を中心として考えれば、実に厳しいものである。しかし、神は人間に、かくも貴く大きな力として「愛」を与えたのである。人間としての成長は愛の成長である。他に与える生活こそ、人間らしく成長するための最大の鍵である。
78 「人間が馴れることのできぬ環境というものはない」

(『アンナ・カレーニナ』より トルストイ:1828〜1910年。ロシアの小説家、思想家。ロシア社会の実相を描き、リアリズム文学の最高峰といわれる。『戦争と平和』など)
 どんな環境にあっても人間はそれを克服し、生きられる。「克服」などというと重たいが、トルストイの言葉を借りれば、人間はどんな環境にも馴れ親しむことができる、適応できるということだ。
 人間は宇宙の縮小体であるといわれるゆえんである。人間はすべての万物、環境を主管(愛で管理)することができるのである。人間は創造主によってそのように創られたのだ。
77 「人間万事塞翁(さいおう)が馬」

(『淮南子<えなんじ>』より 前漢の淮南王劉安の著した哲学書)
 人生は吉凶・禍福が予測できない。人生、何が幸いして、何が禍いするか分からないものだよ、ということなのだが、そう思える生き方をするには相応の心の度量が必要だ。逆に、物事をそのようにとらえて生きていけば、自ずと人間の器も大きくなるだろう。
 頭と心に自分で限界線を引いてはいけないということだ。
76 「願はくは、我に七難八苦を与えた給へ」

(山中幸盛:1545?〜1578年。戦国、安土桃山時代の武将。通称、鹿之助)
 人生できれば楽に生きたいと考える。しかし困難や試練、苦労というものは、成長に不可欠な要素である。ゆえに人間成長しようとすれば、苦労が一番だという結論になる。問題は何のための苦労かということだ。カネのための苦労か、自分のためか、それとも人のための苦労なのか…。
 人が愛の成長のために生きているとすれば、人は愛のためにこそ苦労しなければならない。望まずとも困難は人生につきものである。苦労は買ってでも、という。自らに高いハードルを課して、成長と発展のためのチャレンジを楽しもう!
75 「人間は何事にせよ、自己に適した一能一芸に深く達してさえおればよろしい」

(『人間礼拝』より 与謝野晶子:1878〜1942年。明治、大正、昭和期の歌人、詩人。『みだれ髪』『小扇』など)
 自らの個性や才能を生かした人生でありたいと思う。それができる人生は味わい深く、コクのある人生となるだろう。人間は欲張りである。多くのものを欲し、そして多くのものを得たがる。しかし、「自己に適した一能一芸」こそ、己の最高の満足を引き出す道ではないか。急がば回れ、である。
 月に一度でも、自分を見詰め、自らを吟味し、己の個性や才能をリストアップしてみてはいかがだろう。自分らしさを知ることが物事の始まりとなる。自分らしく生きたと言えてこその人生である。
74 「天下何事か研究せずして発達するものあらんや」

(『新歌論』より 伊藤左千夫:1864〜1913年。明治時代の歌人、小説家。雑誌「アララギ」を創刊。『新歌論』『野菊の墓』『春の潮』『浜菊』など)
 努力することを肯定し、奨励する名言名句は古今東西に多々発せられている。筆者もその信奉者の一人であるが、「努力」を「研究」と置き換えることで、おのずとその努力の中身が問われてくる。われわれは何をどのように努力すべきか。これが分からなくてはいけない。
 研究なくして発展も発達もない。研究とは、よく調べ、よく考えること…。よく調べ、よく考えるところから、進化の端緒は見いだされるのだ。今、われわれには何事かを熱心に研究する必要がある。
73 「臆病になるな、他人の目や陰口にとらわれず、自分のやりたいことに忠実になろう」

(常盤新平:1931年〜。作家、翻訳家。自伝的小説『遠いアメリカ』で直木賞受賞)
 何事かを行っているとき、ふと、「自分は何のためにこれをやっているのか?」と自問してみる。自分のやりたいことに忠実に生きることほど難しいことはない。人生、他人の目や口だらけである。「臆病になるな」…。
 そうだ、自分を信じることを恐れてはならないのだ。
72 「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもへば、不足なし」

(『東照公遺訓』より 徳川家康:1542〜1616年。江戸幕府の初代将軍。関ヶ原の戦いの後、征夷大将軍に。大阪冬、夏の陣で豊臣家を滅ぼし、天下統一)
 物事や現象をどうとらえるかという問題は、頭の中の話のようだが、事実は人の表情や態度をつくり、行動を決する重大事項である。家康は「不自由を常とおもへば不足なし」と説く。人生、確かに平坦なものではなく、いつでも順風満帆とはいかないもの。「重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし」であることは、家康から400年以上経った今も変わらぬ人の一生の例えである。思い通りいかなくて当然、うまくいかないからといって簡単にへこたれてはいけない。いつでも「ゼロから出発」、である。
71 「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし」

(伊達政宗:1567〜1636年。戦国時代から江戸時代初期の大名。独眼竜として知られる。和歌、茶道にも通じた)
 小言や文句を言ったり、けんかしながらの食事はいけない。どんなことがあっても食事は感謝して頂くに限る。“うまからずとも褒めて食うべし”。至言である。言った者も言われた者も決して損はない。むしろ、互いに活力が与えられるものだ。日常生活で繰り返される当たり前のことに感謝し、褒め合う。これが幸せの秘訣ではないか。ささやかな食事の支度といえども、毎日続けば大変なもの。感謝と称賛の言葉はやる気の源となる。きっと料理の腕も上がるはず。
70 「真の友は最大の財産であり、またもっとも得難い人である」

(『箴言』より ラ・ロシュフーコー:1613〜1680年。フランスの作家。政界引退後、サロンに出入りし『箴言』を著す)
 「“真の友”と呼べる人はいますか?」
 その定義するところは人によってさまざまであろう。先人の言葉を借りれば、最大の財産にして最も得難い存在―それが“真の友”である。真の友を得た人生は実に偉大な人生となる。では、真の友といかにして巡り会うことができるのか。
 イエス・キリストは言う、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(新約聖書・ヨハネによる福音書 第15章13節)」と。この大きな愛を示すことができたとき、私は彼の「真の友」となる。
69 「私は熱心さというものを職業上の熟練以上に評価します。( I rate enthusiasm even above professional skill. )」

(エドワード・アプルトン 1892〜1965年。イギリスの物理学者。1947年ノーベル物理学賞受賞)
 筆者は、熱意・誠意・創意の三つの“意”をモットーとしている。これには順番があって、やはり一番目に来るのは、熱意である。熱意とか熱心さ、平たく言えば、「やる気」となるが、これがなければ始まらない。
 なぜなら、人の満足度や達成感は熱意に比例すると考えるからだ。熟練もまた、熱心さが生み出したものであろう。熱心さを評価すれば、おのずと熟練を得ることになる。若者よ、まず、熱くなれ!
68 「一日をうまく使えば、幸せな眠りがやってきます。( A well-spent day brings happy sleep. )」

(レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452〜1519年。イタリアの画家、彫刻家、建築家。ルネサンス時代の万能人。「最後の晩餐」「モナリザ」などが有名)
 時間をどのように過ごしたかが、われわれの心の充足度を大きく左右する。つまり、充実した時間を送れば、われわれの心は満足し、心の充足は幸せな眠りをもたらす。良き睡眠は疲れた心と体を癒やし、新しい一日を迎えるための活力を与えてくれるもの。かように、時間の使い方は重要である。
 心の充足ある生活はいかにして成されるのか。人は、何事かに夢中になるとき、時間を凌駕する。夢中になれるもの、熱中できるものがあることは、すなわち、幸福の必要条件である。時間の主人こそが人生の勝者となる。
67 「くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ」

(『ジャン・クリストフ』より:ロマン・ロラン 1866〜1944年。フランスの作家、思想家。反戦、平和、反ファシズムを主張する。『ジャン・クリストフ』『ベートーヴェンの生涯』『戦いを越えて』など)
 年間自殺者数が12年連続で3万人を超えている。自死に至る理由のすべてが、“希望を見いだせないためだ”とするのは当たらないのかもしれない。人の心の世界をすべて知り得るわけではないので、自らを死に至らしめる原因のすべてを分析することは不可能と思われる。しかし、ほとんどの場合、人は希望を失ったとき、生きることをやめようとする、という理解は、一つの事実であると言っていいだろう。言い換えれば、人は望みを見いだすとき、生きようとするのだ。
 人が望みを見いだすことのできる社会、すなわち、私たちの言葉や、私たちの姿、行動を通して他者に希望が与えられれば、希望を失いかけた一つの命を復活させることができるのではないか。「私」が望みを持ち、人生を一所懸命に生きているという事実は、すでに他者のために生きていることにほかならないのだ。
66 「If I cannot change when circumstances demand it, how can I expect others to?(変わるべき時に私自身が変われないなら、人々に変化を求められません)」

(映画「インビクタス【負けざる者たち】」より)
 クリント・イーストウッド監督作品、映画「インビクタス【負けざる者たち】」は、南アフリカ共和国初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ大統領の実話をもとにしたヒューマンドラマ。名優モーガン・フリーマンがマンデラ役を好演している。
 今週の名言名句に取り上げた言葉は、劇中のマンデラ大統領のセリフの一片である。マンデラのリーダーとしての姿勢を端的に表したこの短い言葉に心を動かされずにはいられない。マンデラの生き方に人間の真の強さ、主体性を見た。マンデラは獄中で書いた自らの詩にこう謳っている。「私が我運命の支配者、我魂の指揮官」と。
65 「奉仕は愛情の最高表現であり、愛は受けるよりも与えることを喜ぶ」

(『日本の目覚め』より 岡倉天心:1862〜1913年。明治時代の美術行政家、思想家。東京美術学校の創立に尽力し、校長に就任。日本美術院を創立。『東洋の理想』『茶の本』など)
 当メルマガの読者の皆さんには解説不要の名言名句であろう。洋の東西を問わず、時空を超越し、普遍的な真理として君臨するのが「真の愛」である。人は愛のために生き、愛のために死んでいく。愛を追求し、愛ゆえに悩み、しかるに愛を決して諦めることはない。愛は奉仕となって現れる。愛は芸術となって現れる。愛は文化となって現れる。愛は行為となって、為に生きて喜びに姿を変えるのである。
 奉仕(ボランティア)文化の創造は真の愛の文化の創造にほかならない。奉仕の正体は愛である。ボランティアは喜びとなって初めてその価値を創出するのである。
64 「愛に住すれば人生に意義あり。愛を離るれば人生は無意義なり」

(『平凡』より 二葉亭四迷:1864〜1909年。明治時代の小説家、ロシア文学の翻訳家。『浮雲』は日本初の言文一致体の小説)
 人生の意義とは? 生きる目的とは? 人は愛と共に生きるべし、人は愛のために生きるべしと、明治の文豪は答えた。どんな時代でも、いつの世にあっても、人は人であることの意味を知っている。だから、人は人を思慕し、結婚をし、子を持ちたいと願う。そうやって人類の歴史は綿々と続いてきたのである。
 人生は愛のためにあるのであり、人は愛のために生きるのである。喜びも、生きる力も、すべては愛が源泉である。
63 「時には常識や知識から解放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか」

(松下幸之助:1894〜1989年。昭和期の実業家。松下電器産業社長、会長、相談役を務めた。「松下政経塾」を創設し、人材の育成に尽力)
 新しい発想を得るためには頭の柔軟さが求められる。新しい自分となるためには心の柔軟さが肝要である。自己に対する常識、すなわち既成概念を超えることが成長のための必要条件である。成長だとか、発展というものは、自己の限界を超えたときにやって来る。言い換えれば、より大きなもののために生きることが成長と発展の原理だと言えるのである。
62 「自分の生命を打ちこむことのできる仕事を持っている者は幸福である」

(九条武子:1887〜1928年。大正時代の歌人、社会事業家。仏教婦人会長など、社会慈善事業に尽力。『金鈴』『薫染』『白孔雀』『無憂華』など)
 自らの生命は頂きもの。その生命をささげて打ち込むことのできる仕事と出合えたならば、それはまさに天職を得たも同然である。これを幸福と呼ばず、何と言おうか。このような出合いは祈る者に、心から願う者にのみ与えられるものである。なぜなら、その価値への自覚は、欲する者以外には生まれてこないからだ。
 幸福を探し当てたければ、全身全霊をもって生きよ、ということだ。投入のないところに、恩恵の享受はない。これは宇宙の法則である。
61 「青は藍より出でて藍よりも青し」

(ことわざ、出典:荀子『勧学』)
 ご存じの通り、教えを受けた弟子が先生よりも優れた人になる例えである。父母の子に対する思いも、師が弟子に抱く思いも同様であろう。親を超えよ、師を超えよ、である。ところが、往々にして、その兄弟間や弟子同士の間で問題や争いが生じやすい。父母の思いは兄弟姉妹が切磋琢磨することであり、師の願いは弟子たちが一つになってより大きな目標の実現のために協力し合うところにある。
 子も弟子も父母や師の「愛」から出た者である。父母の愛以上、師の愛以上の大きな愛で互いに認め合い、支え合っていくべきは子たる者、弟子たる者の姿であろう。
 One Family under Godの極意は、「アイ(韓国語で“子ども”の意)は縦的(親子、師弟の)愛より出でて、縦的愛よりも大いなる横的愛(兄弟愛、人類愛)を結べ!」である。